お菓子がないと生きられないあなたへ
    喜田家&花畑洋菓子のお店ハルエ・グレースから 主人 田口恵美子がお届けします。
Vol.5 キタヤ&ハルエグレースから「ちゅうりっぷ通信」
こんにちはお元気ですか?
 いつもお引き立てありがとうございます。
 お花見真っ盛り中….、急いでみないと「桜はどこへ?」になっちゃいますね。“パッと咲いて パッと散る”….カッコいいですね。まるで人間の生き様を気付かせてくれているような気前良さ。しっかり今年の桜も愛でてあげたいですね。

 さて、今回はまず最初に「フェスティバルをやります」のお知らせから。

「おしんみたいな話」
 和菓子の喜田家は昭和30年に千住寿町に生まれました。終戦後10年目でした。先代(父)は40歳のときに母と二人で喜田家を創業しました。小さい頃、借金の保証人で家が一家離散。兄弟バラバラに丁稚奉公にやられ、奉公先では弟と一緒に小学校に行かせてもらったのですが、お弁当は弟の分しか持たせてくれなかったそうです。でも小学校に行かせてくれて、弟のお弁当も持たせてくれることだけでも有難いことで、「校庭で自分は食べたふりをしていた」という話を聞いたことがあります。

 先月の末に、NHKアーカイブスで“おしん”が3日連続で再放送されましたね。ご覧になりましたか。20年位前に見た時には、あまり感じることができなかった私でしたが、今回は私も年をとっていろいろと学びがちっとばかり身についてきますと、まぁーよく涙のでること。何に心が泣くのでしょうね。心がすっかり洗われてしまいましたねェ。…で、時代というのは無駄に教訓とはならないわけで…。

 脱線してしまいました。
 兵隊に行った時の話しです。もともと父は手先は不器用な方ですが、あるとき乗馬の練習をさせられたのですが、木に身体がぶつかって馬だけいっちゃった…というわけで、「田口、おまえは何やらせてもたいしたことないから、食料の係をやれ」と任命されたそうです。終戦後、何もない時代にその経験が生きて、粉と砂糖をどうにか入手して、栗まんじゅうをつくって売る事をやってみたら、飛ぶように売れた。手に何の職もない父が、「俺には何も手に職がない。お母ちゃんの洋裁の腕で、俺はラーメンの屋台をしようと思う」と。
 ある木枯らしのふく夕暮れ、「おまえたちは外にいなさい」と、妹と私は寒い外に出されました。友人と共同経営でやっていた栗まん屋が、あまり父がはやらせるので友人の奥さんは気持ちよく思わずうまくいかなくなってきた。自分はやめた方がいいという判断となり、突然失職してきた日の両親の会話を、小学3年生だった 私はそのように記憶しています。

 とにかく、どら焼きを焼いたことない父です。みんな亀みたいになってしまうのです。お好み焼きであんこ巻きをやるときのようです。
 幼い頃遊んだブランコのある庭は、台所とつながり、知らないおじさんが2人入ってきて工場となりました。100歳で亡くなった祖母は「何で私が今更60歳のこの年で餅のヘラ返しをやらなきゃいけないの」と気丈でひのえ午の祖母が云っていたのを覚えています。

 そうして昭和30年、「ひさご最中」と「どら焼き」からキタヤははじまりました。でもその当時、商売用のお砂糖1升を買うか、食べるお米を買うかの選択を迫られるような状態でした。
 上生をつくる職人さんには、こんなちっぽけな店で「上生なんか売れるわけない」とバカにされた父は、職人さんに上生をつくってもらうために、毎日荒川に上生を捨ててきては「今日も売れたよ」と売れたふりをして仕事をさせたというこです。ゴミ箱に入れたのでは見つかってしまうから、職人を使い続けるためには売れたふりをしなければならなかったのでした。
 気がついてみれば、“おしん”みてエな話は、自分のそばにもしっかりあったことに気付きます。「苦労は買ってでもしろ!」は、誠に意味深いことばであります。ハイッ。

 というわけで、先代両親もなくなり今年は創業47年目を迎えるのですが、私も小学3年生から早やウン○歳となりまして、今までキタヤとハルエグレースを支えて下さった大切なお客様と何か記念の感動の会をしたいと考えました。
で、
『フェスタ47キタヤ in Lソフィア』を6月Xデーに梅島のLソフィアでやろうと思います。皆様にご参加いただきたいのですが、ご参加いただけますでしょうか?

 つきましては、キタヤ大好き論文アカデミー賞を募集します。キタヤについての想いをお寄せ下さった方に感謝状を差し上げたいと思います。応募用紙に、おもしろいエピソード、泣けること、ご意見、ご希望、ご苦情などを記入してご応募下さい。キタヤの田口が感動したことなどから、抽選で紙面にてお名前を発表いたします。
 さあ、どうぞ、よろしくお願いいたします。『フェスタ47キタヤ in Lソフィア』にご来場いただいておみやげがない人がいるといけませんので、よーく案を練りまして、いかなきゃ損損を企画いたします。お楽しみに…。

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「大正ロマン風ギャラリー併設の町屋店」
 さて、先月号でお話した町屋開店のお話をさせて下さい。まず、町屋の皆様ようこそキタヤワールドへ。ですね。これからどうぞ宜しくお願いいたします。そして現在までのキタヤ&ハルエグレースのお客様、都電が大好きで町屋にお店をついつくってしまいましたが、今までのご利用の最寄りのお店を相変わりませずごひいきを宜しくお願いいたします。

 オープンした町屋店で、花畑の洋菓子専門店ハルエグレースで開催しておりますピアノコンサート同様可愛がっていただきたいのは、2Fの『ギャラリーまちやうさぎ』です。2Fは、ちょっと薄暗いんです。まず、会津で探してきた古材にご注目! フゥーンかもです。江戸時代頃の柱を梁に、お金が足りないので少しですがめぐらして、大正ロマン風にしてみました。そしてお手洗いは行呈にほんとに短いんですが、京都の鞍馬からのとび石を楽しみましょう。庭の部分にこちらも狭いんですが、神奈川の海へ行ったり、川の下流へ行ったりして探してきたごろ太石をいっぱい敷き詰めています。私には「フゥーン、チンプンカンプン」のことばかりですが、先日のなぜかいつも背広を着ているカッコイイ社長、昔山の奥で木を切っていたという木こりのお兄さんは、「これ天目に穴をあけておいたから…」「ハッ??」と私。お手洗いの手洗いボールのことでした。「古材の中に李朝の番立てがあったからヨー、いっしょにもってきたからさァー」「エッー!!」(これもちんぷんかんぷんな私)そして「2Fのギャラリーの壁は土壁風に、ワラはなかったからセンイ入れて風合い出しといたら…」…と。(フゥーンと私)「このカウンターは、カーブつけて一枚板でやっととれたよー」ですって!!

 あじろ格子の建具や竹で月の明かりが透ける障子やら、大正時代の金看板をあしらってくれて何の趣味もない私ですのに、ずいぶんと数寄モノと思われそうな位、趣味風な空間が出現しております。「寄せ集めですが、使いみちのなかった狭い2F、3Fをお客様と共感できたら…」と願っています。
 このニュースレターが発行されるころには開店できているかと思いますので、皆様と楽しむ空間ですので、そのうちにはぜひご来場下さいませ。
 
 今日はたくさんの事を書いてしまいました。お疲れ様でした。

平成15年4月1日号
元気で生きる田口 恵美子より

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